親になる前に子供だったころの記憶を書く1
表題の通り、今度子供が産まれて親になる。その前に子供の頃の記憶を残しておこうと思う。
親になると、つい自分が子供だった頃の記憶を忘れてしまう気がするので。
あとは能力的なところも参考までに書いていこうと思う。
一番小さい頃の記憶から書いていくか。
幼稚園時代が一番小さい頃の記憶になるか。
寒い中、公文の宿題をしていた記憶がある。
数字をつないでいくと絵になるやつ。あれは楽しかった。
あとは山の中にある幼稚園も楽しかった。
特に不満も無く、楽しかった。
キャンプにも連れて行ってもらったらしいがあまり覚えていない。
今キャンプが趣味になっているのは、そういった記憶が頭の奥底にあるからだろうか。
このころから忖度ではないが、多少親の機嫌というか、目を気にするようになったかもしれない。
トラウマになっているが、スキーの授業のときに坂の上に登るのが遅い子供に、遅いんだよ乞食みたいなことを言ってしまい、先生からめちゃくちゃ怒られた記憶がある。
この頃から、カッとなるとつい余計なことを言ってしまう傾向があったと思う。
今でもたまにキレてしまう。三つ子の魂百までといったところか、、
小学生
母が働きに出るようになって、だんだんと家の中がピリついてきたのかもしれない。
犬を飼っていたが、母が帰ってくるまでに散歩していないと怒鳴られた記憶がある。
急いで散歩に出かけたのを覚えている。
そもそもだが、家族の身の丈にあっていないマンションを買って、そこに住んでいたので働きに出る必要が出てきたのであろう。もっと安いマンションでも良かったのではないかと今になっては思う。
思うに、うちの両親は見栄張りだったのだろう。もしくはあまり頭が良くないか。
カリカリしないでご機嫌に生きていくことが幸せだと思うが、とにかくカリカリしていたと思う。父は休日、ベッドの上にずっと居たが、あれは一種の鬱状態だったのだと思う。
そういった家庭状態だったため、私もキレやすかったのかもしれない。
小学4年生になると学校ではいじめがあり、学級崩壊的な感じになっていたと思う。
担任の先生が何人も替わっていた記憶がある。
ゴリラ先生やカッパ先生など、、
いじめは小学4年~6年くらいまでターゲットを変えながら続いていたと思う。
いじめは良くないことだと思うが、楽しかった記憶もある。
サンドバックを殴ると気持ち良いといった感覚か、、
学校の成績が悪かったり、片親の子だったり、
くさい、長靴頭のキモいやつとか言っていじめていた。
大人だったらいじめないというか無視するか距離を取るんだろうが、小学校という狭い空間では逃げることが出来ないんだよな。
いじめるやつもいじめられるやつも何かあれば転校させた方がいいと今になっては思う。
ただ、小学校の友達とか居なくなってしまう訳だから、あんまりしない方がいいかもな。
最近はしていないが、大学生になるころまで小中学校の友達と同窓会とかしてたしな。
いろんな人がいるということを知らない、狭い価値観で生きてきてしまったんだろうな。
偏差値主義の狭い価値観で育ってしまっていたのかもしれない。
親は両方田舎出身で、社会人となり東京に出てきている。
地主と公務員の家で割と良い家だったので、田舎から出てきていることもあり、
見栄っ張りというか、少しでも良い暮らしをしているように見せたかったのかもしれない。
生きるのに必死で余裕が無かったんだと思う。
美味しいものを食べるとか、何かを楽しむ余裕が無かったように思う。
ご飯も共働きだったこともあり、野菜炒め、スーパーのお惣菜が多かったと記憶している。
良い家、良い車、偏差値が高い子供。そういった暮らしをしたかったのかな。
時代もあるかもしれないが、、
小学生のころは近くの川で秘密基地を作って遊ぶのが楽しかったな。
そこで遊戯王カードをしたり、ゲームをしたり、マジックザギャザリングをしたり、
石飛をしたり、
今思えば結構危険な遊びもしていたな。
下水管の中に入ってみたりなど、、
小学4年生頃になり、自転車で遠くに行くようになると大分世界が広がるような気がした。
隣町に行ってみたり、、
火事を起こしてしまったこともあったな、
振り返ってみると、本当に最低な小学生だったと思う。
少しテストで良い点が取れるからといって、人を馬鹿にしていた。
ものさしが一本しかなかったんだと思う。そうならないように、いろんな人に触れて、いろんな体験をして、楽しむこと、上には上が居ることを知った方が良いと思った。
(中学時代を書きながら思い出したが、小学校6年のころ塾に通い出したが、付いていけなかった事を思い出した。いきなり春の七草とか、アメリカの五大湖を聞かれても分からなかった。上には上が居ることを知っても意地が直らなかったってことは元々性格が悪かったのかもしれない、、攻撃性があったのかもしれない、、格闘技をやっていたらまた違っていたかもしれない)
人を馬鹿にしたかったら物差しを一つにすればいいんだろうな。
ただ、物差しが一つしかない人は物差しをいっぱい持っている人からしたら、馬鹿にされる対象になるんだろうな。
そういった小学生だった。
(また中学時代を書きながら思い出してきた。人を笑わせるのが好きだったな。
とかいってというのが口癖だったことがあった。)
中学生
臆病でキレやすい中学生だった。
異性に興味を持ち始めてモテたいけど、モテなかったな。
物差しが一つしかない、つまらない人だったと思う。
流行のテレビとかも見ていなかったし、格好良い服なども持っていなかった。
みんなと同じ会話が出来なかったから、いじめとか下ネタとかしか話が出来なかったんだろうな。
自意識が過剰だった気がする。
初恋は小学5年くらいだったか、、からかうとかそういうのは出来なくて、
遠くから眺めてる感じだったかもしれない。積極的に絡むことはなかった。
あの子は今何をしているんだろか。
中学時代は思春期で毎日好きな子が変わるような感じだった。
女の子と話すのは楽しかったな。
弱い野球部にいたなあ。
いじめばっかりしていて、後輩がほとんど辞めるという事件もあった気がする。
同級生に道具室や教室でプリティー、ダンディーなどのかけ声とともに下半身を露出させるなどしていた。
部活だったり、チームに入るときは自分が興味あるということもあるけど、
強いチームに入るのが良いと思う。
練習は厳しいかもしれないけど、勝つという目標に向かって、一丸となるのは良い経験になると思う。
自分が就活するときは、そういった経験がある人が強かったと思う。説明しやすいというのもあるのか、、
とにかく、結果にこだわるのは良いことだと思う。
続きはまた今度