秩序が崩壊した後の真個人主義
広尾にあるベンチャーで働いている♂です。
さて、車の修理が終わって帰ってきたところで、またブログの更新です。
最近、更新が滞っていた分、書く事が色々ありますね。
頭にヘドロが溜まっていたような気分です。
どんなにキレイな水も貯めていては汚れていきます。
アイディアはキレイなうちにどんどん吐き出していきましょう。
ということで、前回記事に引き続き、世の中のシステムについて。。
知見が足りず、天才でも無い私が書いているので、色々足りないところはあると思いますが、若者の戯れ言だと思って流してもらえると助かります。
さて、前回記事では現在が資本主義から、プラットフォーム資本主義に変化しつつあると書きました。
ネットで「プラットフォーム資本主義」と調べると何やら怪しいサイトが出て来ました。
企業には4つの段階があると言われています。
おそらく資本主義は成熟期に入ったと思われます。
これ以上、成長は見込めない状態。壁が見えている状態。
下記の図で言うところのAに居る状態だと思われる。
資本主義からプラットフォーム資本主義への転換期。
ここでプラットフォームを確立できなかったものはチャンスを逃す。
(決してここでチャンスが無くなるということは無い)
今現在、資本主義経済は崩壊しつつある。
資本を持っている者よりもプラットフォームを持っている者の方が富めるものとなるのだ。
ここで秩序は崩壊し、また新しい秩序が生まれる。
プラットフォーム資本主義の次に出てくるのが真個人主義だと思われる。
プラットフォームを確立したものはそこで一旦上がりとなる。
上がれなかった者はプレイヤーとしてプラットフォームを利用するガチの闘いに参加することになる。
ゲームのシステム、ルールを作れなかった側は大企業とか中小企業とか、そんなのとは別にシステムを利用して、世界に対してアウトプットをして稼ぐようになるのである。
ある種のゲリラ戦だ。
企業に属することなく、プラットフォームで食うことができるようになる人が出てくると思われる。
今で言うyoutuber的な存在。
資本主義→プラットフォーム資本主義→真個人主義→???
シェアエコノミーなんて言葉が出てきているが、シェアしているものとシェアさせているものがいることを忘れてはイケナイ。
平等と公平は違う。
提供するものとされるもの。そこには大いなる差があるのだ。
世界レベルでシェア争いが起きたら大変だな。
法律で規制したりするのかしら。
しかし、規制をしたところで、その国の中でシステムを創り上げるものがいるのだから、そのシステム(プラットフォーム)の立ち上げに関われなかった人はどうするのかしら。
真個人主義になれば、マニュファクチュア(家内制手工業)的な働き方も出てくることだろう。
モジュール化されて、人々がより個々機能的に働く社会。
それが才能の開花できる機会が増える最高の世界だと言う人と、何も才能が無い人との闘いになるのか。。
はたまた、どうなるか。
真個人主義の次は何が来るかな。
全てのプラットフォームが用意されていて、何か始めるときにはベストエフォートが、最高のフローが用意されている。
様々な機能もアウトソースできて、金融も発達しており、クラウドファンディングなどで資金集めも容易だ。
あとは少しの才能と情熱、リスクと取る勇気だけで、新しい世界を開くことができる。
今度はプラットフォームのパッケージ化なんてのも出てくるかもしれない。
会計はFreeeで、ホームページはWixで、雇用はLancers、販路はAmazonで、みたいな。
コアになる事業のアイディアだけは自分的な。
これほどまでに"自分"が大事になる時代は無いだろう。
個性が大切になる時代。
個性はどうやって伸ばすんだろうか。
独自性はどうやって伸ばすんだろうか。
神頼みでもするか??
ある意味それが正解なのかもしれない。
ひらめきは意図的に起こすことができない。
それこそ、クスリでもやらない限り、思いつかないかもしれない。
人間の神秘をどれだけ紐解き、真理にどれだけ近づけるかみたいな闘いが始まるかもしれないな。
イノベーションも意図的に起こせるかもしれないし。
芸術も飽和して、その先にコンセプトアートを生み出した。
どう消費するかで差別化することも可能。
商品を生み出す。飽和する。
消費の仕方を変革する。←今ここ。
購入、ローン購入、レンタル、シェア。
楽しみ方の変遷
個人で消費、家族で消費、友達と消費、SNSで消費
一つの商品がどこの誰までをカバーするか。
カバーする対象も広がっている。
誰をお客様にするか????
インスタ映え=SNS映え=世の中受け???
『泉』
マルセル・デュシャン 『泉』 1917/1964年 京都近代美術館蔵©Succession Marcel Duchamp /ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2017 G0805
便器にサインを書き作品だと言い張る厚かましさ。
綺麗なものを出すだけでは斬新性が無い。
他の人と違うことを求める承認欲求。
マズローの欲求5段階に沿って考えると日本の社会は順々に段階を上がっていると言える。
承認欲求はインスタ映えと重なる。
その上の自己実現となるとどうなるか。
創造性。問題解決。
うーん。真個人主義にピッタリじゃあないか。
このコンセプトは恐らく、間違いじゃあ無いと思われる。
インスタに自分のうんこにサインを書いて上げる人が出て来たら次の時代が来たって感じになるんですかね。
いや、自己実現で自己完結するのであれば、一人で達成感を感じて終わりか。
インスタ蠅と言われて鬱陶しさを感じはしているものの、自己完結が過ぎるのも大人過ぎてそれはそれで寂しいですね...
では。